
棺桶を載せたパッサートソップと呼ばれる寺
故鈴木さんのブログ「」の最終の記事のコメント欄にある、スクムビットさんの“追悼記事”の写真を見せてもらって、日本とタイの葬式について考えさせられた。
チェンマイ田舎に20年余りも暮らしていると、連れ合いの親戚や友人、知り合いの葬式に一緒に参列することが結構ある。タイ仏教での葬式は、病院で亡くなっても故人の家で、3日〜4日ほど行うのが普通。家が狭い場合は、近くの寺で行うことになっている。
葬式の期間は、家の中や家の前の道路にテントを立てて、朝と夕に親戚縁者や集落の人を呼んで、僧侶達(4,6,8などの偶数人?)に来てもらって追悼供養のお経をあげてもらう。それが終わると、集まってきたもらった僧侶たちと参列者に食事をふるまわなければならない。そのまかないの食事作りは、隣近所の人が出てきて手伝ってもらう。もう、祭りの賑やかさである。
葬式最終日は、中に棺を載せたお寺の形のパッサートソップを、お寺の焼き場まで、野辺の送りとなる。葬儀参列者がパッサート(聖殿)を引っ張り動かすロープに手を掛けて、近くの焼き場まで歩いて運ぶ。焼き場で、最後のお別れ儀式が行われて、棺に献花して、火入れして終わる。
タイに来て最初に葬式に参列すると、何とも仰々しく大々的に賑やかに行われる葬式。日本の葬式しか知らないと、誰もが圧倒され驚かされる。まるで、俗世から浄土への旅立ちを、墓がないので死んだら永遠の別れとして、親族一族郎党や集落民で“盛大にお祝い(?)”するかのように。
私のようにカブバイクであちこち走り回ると、焼き場へパッサートを引っ張る葬列をしばしば眺める。暮らし始めた当初は、「タイではよく人が死ぬものだなぁー」と思ったものだ。
その国がどれほど発展して変わろうとも、その国や民族の“昔ながらの冠婚葬祭”と、“昔ながらの食文化”はの2つは、未来永劫変わらないらしい。タイの田舎に長年暮らすと、そのことを痛感する。
ところが、世界が未曾有の疫病危機に直面した新型コロナウイルスの感染爆発で、色あせる日本伝統の冠婚葬祭に、決定的打撃を与えているように思う。典型的に表れた葬式を例に挙げてみる。
以前は自宅やお寺で行われた葬儀は、新型コロナ禍の影響もあって、「アスピカホール、ソートフル、JA葬祭・・・ホール」などの葬式業者の瀟洒な会館で、外部からは葬儀と一切わからずに密室で行われる。その閉ざされた葬儀さえも、新型コロナ禍の影響で、「時節柄、通夜は回り線香、葬儀は近親者で行います」と、一般人の葬儀参列の必要もなくなってしまった。
従来の葬儀参列もなくなり、簡略化した葬儀になって、最低限の費用と時間で済まされることに。この“コロナ禍葬儀”は、新型コロナ禍が沈静化しても今後ずっと続くであろう。お金がかかる葬儀に嫌気がさし、香典を持ち形式的に参列する参列者も嫌気がさしてきていたのだ。
日本とタイの仏教葬式の余りの大きな違いの中で、チェンライ田舎で非業の死(たぶん)を遂げた鈴木さん。だが、伝統のタイ仏教葬儀で多くの人々に囲まれて見送られて、浄土へ旅立ったのだ。日本で病死したら、それこそ近親者だけでこっそり葬儀を行い、焼き場へと見送られておしまいだろう。
故人となってしまった鈴木さんだが、チェンライ田舎でのタイ人配偶者家族の暮らしの最期は、タイ仏教伝統の厳かな葬儀をしてもらって、彼岸へと旅立ったのだ。心より、ご冥福をお祈りします。
余計なお節介であろうが、残された鈴木さんの奥様に、どなたか日本人の助けがあって、遺族年金がもらえる手続きを開始し、申請して、早期に給付されることを祈っています。
*なお、上記写真は私の過去の以下のブログ記事の写真の1枚を転載。
「チェンマイ田舎庵の隣り地区の知り合いの日本老人の葬式・その1」・ココをクリック
「チェンマイ田舎庵の隣り地区の知り合いの日本老人の葬式・その2」・ココをクリック
「チェンマイ田舎庵の隣り地区の知り合いの日本老人の葬式・その3」・ココをクリック


ただ、タイは、亡くなれば、数日悲しみ、輪廻転生で、生まれ変わるので墓は、要らない、生きてる間に寺にタンブンを多くすれば次の人生は、良いものになると信じている
日本も少子化から、墓の維持、管理が難しくなり、墓仕舞い又は墓を持たない人が増えてきている