2018年02月28日

メーホンソン温泉巡りバイクツーリング(3)

  <パーイへの道とパーイの想い出!

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 ファイナムダン国立公園内のポーンドゥアット温泉の入り口ゲートで、覚悟はしていたのだが、入園断念の痛恨のUターン。気を取り直して、引き続き国道1095線の九十九折の山道を快適バイクツーリング。・・・

 チェンマイ県メーテン郡からメーホンソン県メーホンソン市内へと続く山間部を走る国道1095線は、山間部バイクツーリングコースとしては北タイナンバーワン(強気で断定)。それを裏付けるように、平日だったのにもかかわらず、欧米人を中心に、タイ人も含めて、バイクツーリンググループを多く見かけた。中には、なんと自転車で走破している欧米男性の逞しい姿もあった。

 結論から先に言えば、今回の“ぐるっと1周・メーホンソンバイクツーリング”の740キロ余りのコースは、バイクツーリングの第1候補のコースかと。3泊から4泊のバイクツーリングを楽しみたい方には、是非ともお勧めのコース。

 とはいっても、60歳以上の年金暮らしの方の大半は、バイクツーリングなど興味も関心もないだろうし、行きたくてもそんなパワーはないかも。一方、年配や若い方はそんな時間的余裕はないだろう。つまり、無駄なことを言ったようなので、話を先に進めよう。

 ちなみに、メーテン郡から始まる国道1095線は、第2次世界大戦時に旧日本軍がインパール進撃を予定して、軍事物資運搬のための軍用道路として切り開き、拡張整備してできた。その意味では、旧日本軍が建設した道路ともいえる。(昔の車道と現在の車道とは異なる部分も多く出てきているのだが)

 また、無謀なインパール作戦の敗残兵がチェンマイに撤退するルートの1つにもなり、その道路を撤退中に多くの日本兵が疫病死。道路上には日本兵の死体が並んだと言われ、“白骨街道”とも呼ばれていた。それにしては、この白骨街道に旧日本軍の慰霊碑が1つもないのはなぜなのか知らん。

 さて、パーイの小さな町があるパーイ盆地に山並みから下りてくると、まずほっと安堵する。急なカーブも急な勾配もない平坦な道路の走りやすさに、心身の緊張感から解き放たれるからである。

 この小さな盆地の小さな町であるパーイだが、実は、20数年以上も前に初めて訪れていて、その後は十数回も訪れていた。もちろん以前は、欧米ヒッピーが少し来て、小さなゲストハウスも1,2軒しかなかった。つまり、田舎の小さな盆地の町で観光スポットなど地元の古いお寺程度で、皆無に近かった。

 20数年以上も前に、確か年末に、チェンマイからレンタルカブバイクで、初めてパーイにツーリングに。その時のことは、あまりにも予想外の体験だったので、割と鮮明に覚えている。ここではその体験談は割愛するが、エピソードの1つくらいは紹介しよう。

 ガス欠を心配しながらようやくチェンマイから辿り着いたパーイの町は、言われていた町ではなく村だった。夕方前に到着したので、とりあえず、村人にゲストハウスの寝場所を尋ねて、そこにバイクで行くことに。でも、紹介された2つのゲストハウスはすべて満杯で、あっさりと断られる始末。

 今夜はこの村で泊まらないといけないので、宿がないとは目の前が真っ暗に。落ち込んで悲しんでいる余裕もなく、村の本通りのとある店のおばさんに、正直に寝る場所がないことを相談。

 すると、数軒隣の店のおばさんの所に連れていかれ、その店の2階の空き部屋を見せられて、「ここに泊まりますか?」と言われた。詳しい宿泊料金は忘れたが、ゲストハウスよりも安い宿泊料金であった。でも、夜から冷え込んで、寒くて安眠できず、早朝の暗いうちから目が覚めて寝つけなかった。

 東の空が白み始めた頃に、店の外に出て村を散策。散策しようにも、濃霧が立ち込めて10メートル先さえ見えないのには困ってしまった。パーイの年末は底冷えし、早朝は濃霧に包まれることを、寒さに震えながら体験させてもらった。

 泊まった翌日の午前中は、小さな盆地の周囲にある山岳少数民族の村へバイクで尋ねることに。まあ、地図などなくて適当に森や林の中の細道を、集落を求めて走る事に。

 バイクで山岳民族集落に迷い込む。写真を撮ろうとバイクを止めると、集落の男衆が近づいてきて、手先を唇に近づけてタバコを吸う真似をして見せる。チェンマイの安宿にいた古参の日本人から、そのような類のパーイの情報は仕入れていたので、「なるほど、外国人とみると大麻(ガンチャ)を売るというのは本当なのだ!」と、妙に納得した。

 買うつもりなどまったくないのだが、大麻(ガンチャ)売りの実態を知りたいので、「見せてくれ!」と告げた。すると、男は俺の後に着いて来いとばかりに、集落外れの林の中の1本の木の根元に連れてくる。

 「大麻はどこなの??!!」と不思議の思ったのだが、何のことはない、男は木の根元のやわらかい土を手で掘る。すると、土の中からビニール袋を取り出してきて、中身が大麻であることを示してくれるではないか。

 値段は忘れたが、安かったことだけは覚えている。ここまで言えばわかると思うのだが、何もない小さな村のパーイに、なぜかヒッピーがやってくるのか、お分かり頂けると思う。その当時のチェンマイでは、「大麻を自分で安く仕入れるならばパーイに行け!」と、裏で言われていたのも事実である。

 それから現在まで“パーイ・大麻の里”がどう変遷しているのかは知らない。でも、こんな小さな町にあるはずのない“ツーリスト・ポリス”があるのは、何かを物語っているのかもしれない。

 たぶん2年ぶりに訪れるパーイの町。まずは、町の入り口にあるパーイのゲートウエーともいえるのが、“第2次世界大戦記念鉄橋”。まあ、パーイを訪れる旅行者は、道路すぐ横にあることもあって必ず立ち寄る。

 緑のペンキで塗った橋の両側の袂には洒落た土産物を売る屋台が軒を連ねて、訪れる旅行者で賑わっている。道路脇に駐車しているワゴン車、乗用車、バイクの多さには圧倒されてしまう。

 この緑のペンキで塗られて古くもない鉄橋がなぜ“第2次世界大戦記念鉄橋”なのか。簡単に言えば、第2次世界大戦時に、旧日本軍がメーテン郡からメーホンソン市までの道路を建設する時に、ここのパーイ川に当然のことながら車両を行き来させるために橋を架けた。

 その当時は簡単な鉄橋(木橋?)だった。戦後、その鉄橋が古くなり架け替えが必要となる。ちょうど、チェンマイ市内のナワラット鉄橋の架け替えが行われることになり、解体撤去する古い鉄橋をパーイに運んで、パーイ川の鉄橋として再利用。その鉄橋が現在に至っている。

 ということで、“第2次世界大戦記念鉄橋”(สะพานประวัติศาสตร์ปาย สมัยสงครามโลกครั้งที่ 2)と命名されているようだ。「パーイ川のこの場所に、第2次世界大戦時に旧日本軍が橋を架けた。その橋は古くなっては架けなおされ、最後はチェンマイ市内のナワラット鉄橋の古いのを運搬してきて、ここで再利用して現在に至っている。このような理解が正しいであろう。

 御多分に漏れず、ここでも、チェンマイ市内同様に、中国人や韓国人ツアー客がうるさくて目立つ。こうなると、バイクを降りて見物しようという気力もなくなる。

 たぶん、先に進んでいるツーリング仲間は一瞥しただけで通り過ぎたに違いない。私はツーリングの隊列から遅れてここに到着。そしてバイクを道路脇に止めて、橋の麓の下の空き地まで歩いて降りる。

 観光客がウジャウジャいるのに、橋の麓の下の空き地にまでは誰も降りてこない。なんで、そんな場所に立ち寄るのかといえば、筋金入りの北タイ温泉探検隊だからである。{続く}

posted by 新明天庵 at 02:00| Comment(0) | タイ・バイク・ツーリング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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