2017年12月04日

チェンマイとランプーンの旧日本軍戦没者慰霊碑の定期清掃(B)

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 ランプーンのパサーン郡の田舎にある藤田松吉氏建立の旧日本軍戦没者慰霊碑での清掃は、先に、ランプーン在住日本の老人の方5名ほどが始めていて下さっていた。
 我々チェンマイからの7人が到着して、残りの掃除を一緒にやった(上記写真参照)。・・・

 まあまあ立派な慰霊塔であるが、この慰霊塔の説明看板が一切ないまま。でも、慰霊祭実行委員会で説明看板(たぶん日本語とタイ語の2か国語表記)の設置が決まっている。

 この慰霊塔は幹線道のすぐ横で、走っている車の窓からもよく見える。この便利な立地を見逃さずに、今後は、道路脇にも行き交う自動車からもわかるような、大き目の案内標識看板を立ててもらいたい。わかりやすく、それには、日本とタイの両方の国旗も描いてほしいものです。

 「その看板製作費用ならば、出しましょう!」と手をあげて下さる方が出ればいいのですがね。でも、道路敷地内なので、国道局の設置許可が下りることが前提ですけれども。

  <ムーンサーン寺散策

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 今回の集合地点かつ最後の定期清掃場所が、先の戦争時に日本軍の野戦病院があったムーンサーン寺の慰霊碑と旧日本軍資料博物館(慰霊碑後ろの建物)。

 毎週土曜日にナイトマーケットで賑わうのが、チェンマイ市内チェンマイ門近くにある伝統銀細工工芸のウアライ通り。その通りから、南東方向に50メートル入るとこのムーンサーン寺がある。

 境内に慰霊碑はあるのだが(日タイ両国の旗が目印・上記写真)、旧日本軍資料博物館は閉まったままで見学できないのが残念。

 どうしても博物館内部を見学したい方は、毎年8月15日の終戦記念日に行われる慰霊祭当日に参加するか。ないしは、年3回の定期清掃に参加して頂ければ、掃除しながらじっくり見学できます。

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 干支の最後12番目は”豚か象”とは?
 賽銭箱も盗難防止て小型金庫に!

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 やはり、干支は象さんで銀細工

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 やはりナーガにマカラがくっついています

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 屋根の先にもナーガとマカラの2つが!

 このムーンサーン寺ですが、ウアライ通りを挟んでこの寺の反対側の西側にある有名な“銀細工のシースパン寺”同様に、見事な銀細工のお寺。かならず、欧米人旅行者が境内に紛れ込んできます。

<チェンマイの名家ニマンヘミンより、旧日本軍の鉄兜などの寄贈を受ける>

 今回のサプライズは、チェンマイの名家ニマンヘミンより、この寺の旧日本軍博物館に対して、旧日本軍の鉄兜など4個の寄贈を受けたこと。後日その写真を紹介できるかもしれません。

 チェンマイのニマンヘミンといえば、誰もが“チェンマイで最もお洒落な通り・ニマンヘミン通り”のこととなる。だが、ニマンヘミンは“名家ニマンヘミン”を意味している。

 チェンマイ大学キャンパスを含めて、チェンマイ市内西側一帯の土地を所有していた大富豪が名家ニマンヘミン。ニマンヘミン通りは、ニマンヘミン家が所有地の一部を通りとしてチェンマイ市に寄付したことから始まっている。

 また、北タイでは農民服として定着していたのが、木綿で藍染のモーホーム作業着。ところが、1953年に、名家のグライシー・ニマンヘミン氏氏が、地元の地方司法長官の送別会とチェンマイ駐在アメリカ公使ジョージ・ウィニーの歓迎会を兼ねて晩餐会を開催。この晩餐会に北部伝統料理カントークを出したのは有名です。

 そして、ホスト役のニマンヘミン氏が、なんと北タイの農民服であるモーホームを着て接待。それ以来、モーホームはカントーク・ディナーなどには欠かせない“正装(礼服)”ともなったとのことです。

 よって、モーホームはもともと“農民の作業着(作務衣)”でありながら、その後は“礼服(正装)”としても用いられるという2つの役割を持つ特別な服になったようです。

 それを、東京で実践された方がココのブログで拝見できます。なかなか度胸のあるお方で感心致します。

 小心者の私にできることといえば。そうだ、次回の定期清掃時には“清掃時の正装(?)”として、モーホームを着ていくことぐらいかな?

 それにしても、旧日本軍の鉄兜を持たせてもらったのだが、「こんな重いものを被って行軍や戦いとは・・・首が痛くなるのでは?」と。展示したものを見るだけでは不十分で、実際に展示物を手で持ってみることも考えてもらいたいものです。

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posted by 新明天庵 at 13:00| Comment(2) | ロングステイ関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
加藤隼隊がバンコクに入国後、対ビルマ支援飛行場の適地を探して飛び回りニマンヘミン一族が牧場をやっている広い平地を見つけて日本陸軍が整地したのがチェンマイ空港の前身とかなんとか。ムーンサーン寺の野戦病院が空港に近いのもわかります。
(ニマンヘミン一族の戦前の牧場写真はちゃーおか何かに載ってたような)
飛行場最適地はサンカンペーンの方とかもっと良い所は無かったんかしら。お陰で深夜も飛行機の離着が煩くて仕方ない。
ムーンサーン寺の博物館は何年か前に住職みたいな人が来てカギを開けて貰いましたけど、今は一見さんお断りなんでしょうか。
Posted by チェンマイの名無しさん at 2017年12月04日 22:09
何時も有難う御座います、楽しく読みました、定住者の会に参加しています、今回は都合で12月20日帰国、来年春には戻りますので、その折よろしく
Posted by 高畑 充 at 2017年12月07日 17:15
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