2017年02月18日

チェンマイ県ファーン郡・無料宿泊のマラソン大会にバイク1人旅(4)

  A.<無料朝食サービスで準備万端!

 夜は冷え込むだろうと着込んで寝袋に入ったのだが、逆に汗が出る暖かさで、靴下もジャンバーも深夜に脱いで寝ることに。1時に目覚めては眠り、3時に目覚めては眠りで、なかなか熟睡できなかった。・・・

 午前5時過ぎに目覚めた時には、さすがに他の夫婦や家族は起きていて走る服装に着替えていた。午前6時スタートなので、少し早いが起きて服装を着替えて、昨日は何もしていない準備体操をすることにした。

 半パン、ゼッケンを安全ピンでとめたTシャツに着替えて、校内に出たもののひんやり寒いではないか。慌てて部屋に戻り、ジャージ長ズボンと上着を着込んで外に出る。朝の5時から受付とのことで、夜も明けぬ暗い正門からは参加の車やバイクが次々に入ってくる。

 室内スポーツならいざ知らず、屋外スポーツならば明るい日昼にするのが当たり前(野球などナイターゲームは例外)。それが、タイのマラソン大会ときたら、最も大会が多い距離10キロ前後のミニマラソン大会のスタートは、まだ暗い午前6時スタートと決まっている。

 となると、会場入りは午前5時半前ということで、スタートしてから30分前後は暗い中をひたすら走るということに。これはどう見ても、明るく健康的なスポーツ大会とはいえないと断言する。でも、決められているので、それに大人しく従う他ない。

 まあ、午前6時スタートのマラソン大会に慣れると、滅茶苦茶早起きしてその1日が長くなって得したような気にもなる。また、スターツしてしばらくは暗いのだが、朝陽や朝焼けを眺められる。それに、黄色い袈裟姿の僧侶達の早朝托鉢光景も眺められる。暑くない涼しい中を走れるなど、日本のマラソン大会には絶対ないプラス面も多いと悟って“諦める(?)”ことになる。

 おもにストレッチ準備体操をしていると、普通は走り終わった後にある朝食サービスの1部をすでに行っているではないか。いつも、朝食抜きで大会を走るので、期待していなかったのだが、パートンコー(揚げパン)と豆乳だけは先に頂けるようだ。

 早速頂いた。寒い朝に熱々のパートンコーと豆乳は身体が温まる。午前5時40分と、スタート20分前に部屋に戻って、寝袋などすべて片付け、走る服装になっていざスタートゲートに出陣。その前に、受付の場所で貴重品の入ったバッグを預ける。ここでは、番号入りの小さな引換券をくれた。

 学校主催のミニマラソン大会は、当たり前といえば当たり前だが、その学校だけでなく近在の学校からも多くの生徒が参加する(参加したら体育の点数に加えてくれるようだ)。この朝も、バイクや徒歩で薄暗い中を学校のジャージ姿の生徒が、波のように押しかけてくる。

 押しかけてくるのは賑やかになっていいのだが、スタート5分前になっても正門から続々と入ってきて、受付の長机の後ろに長い列を作って並んでいる。

 「まだまだ遅れてやってくる生徒が多いので、午前6時スタートなど無理だろうが!」と、諦めムードに陥る。マイクで受け付けを急いでなどと呼びかけているが、午前6時までに片付きそうもないのは明白。

 あまりの生徒の多さに、一般参加の20代、30代、40代、50代、60代の数字をつけたゼッケン姿がきわめて少ないように思えた。ちょっと気になり、受付の男子60歳以上の貼り紙の前に行き、何人エントリーしているのかを尋ねた。すると、残っているゼッケンの1番上の「07」を指さして、今のところ6人とのこと。

 「えっ?たった6人だけ?・・・」と驚いた。ちょっと、これはエライことですよ。男女別年齢別での入賞なので、ひょっとしたら上位3位以内に入れるかも。いやいや、こんな大会に走るのだから、60歳〜62歳の健脚の方が4〜5人いるだろうから、5位以内を目指した方がいいのかもしれない。なんたって、健脚とは程遠く、ベッタの方でも完走だけを目標にしている前期高齢者を過ぎた老人の誰かさんである。

 B.<遅れてスタートのコースは油田街道

 スタート時刻の午前6時半を大きく過ぎて、なんと30分も遅れての午前6時半スタート。来賓の挨拶が長くなるなどで、スタートが5分くらい遅れることはたまにあるが、30分以上も遅れてのスタートは初体験。

 私のマラソンスタートの流儀は“先行追い抜かれての完走”なので、図々しくもスタートの先頭集団に入れてもらう。普通は、足に覚えのある(?)入賞目指す健脚ランナーたちが、スタートゲートの先頭集団に立つのだが。

 その先頭集団の中の一般参加者は、男女ともおもいおもいに過去の大会記念のランニングシャツをつけている。つまり、走り慣れ、鍛えられている市民マラソンランナーということ。健康維持でやっていて、あくまで完走だけが目的の“軟弱ランナー”とは服装も、体型も異なる。

 いつものようにスタートは、“プー”と鳴るおもちゃの手持ちラッパ(?)。このラッパの弱々しいスタート音は、スタート合図音にふさわしくないので、早く何とかして欲しいものである。でも、世界標準(?)のピストル音には絶対にならないであろう。

 人数が多いスタート直後では、横のランナーと接触して躓(つまづ)かないように、決して慌てることなく細心の注意が必要。学校の正門から国道に出て、すぐの信号交差点をいわゆる油田街道を走るようになる。どうやら、その油田街道を走って、折り返してのコースだと、走り出してわかった。(コース説明ポスターなど見当たらなかったので)

 前もってコースなど知らなくても、走る列について行けばおのずと分かるというものだ(なるほどでしょ!)。ちなみに、今回は10キロでなく、中途半端な8キロのミニマラソン。これは、マラソンなど生まれて初めて走るであろう大勢の生徒に配慮しているからだ。

 ファーン郡からチェンライ県のメーサイ国境前のメーチャン郡の国道1号線に通じる油田街道。この街道沿いにはファーン郡各地から採掘された重油が集められてた、貯蔵と精製の大工場がある。

 この日も、円筒形の重油などの黒塗り貯蔵タンク群を横目で眺めながらの走り。タイで唯一油田のあるファーン郡。第2次世界大戦時、タイと同盟国だった日本。重油を供給できるこのファーン郡を燃料補給の戦略拠点として、日本軍が駐留していたのは当然だったのかもしれない。

 かなり前になるが、チェンマイで知り合った日本の方から、ファーン郡出身の彼女から聞いた話として以下のようなことを語った。

 「彼女の親や親戚のお爺さんから聞いたのだが、戦争中にファーンにやってきた日本軍兵士との間に生まれた子供がたくさんいるのだが、それを知っていて隠している大人もたくさんいるようだ。また、戦後もファーンに残って、(帰国命令無視の逃亡)日本兵と知られないように、黙ってひっそりと暮らして死んだ日本兵もいたようだ。・・・」と。

 大いにあり得る真実味のある話。でも、これを深く掘り下げて実話として取材する日本人はまだ現われていないようだ(たぶん?)。まあ、戦後60年以上過ぎてしまっては、当時の日本兵に関することを覚えているファーン郡の老人はどれだけいるのであろうか。ごくわずかだろうと考えると、ちょっと絶望的にもなるのだが。

 「抜かされて悔しいのだが、足が思うように早く動かないわー!」などと、コンディションのことばかり考えて、上記のような小難しいことを考えながら走っているわけではない。でも、少しは考えていた。{続く}

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posted by 新明天庵 at 03:00| Comment(0) | TrackBack(0) | チェンマイ・マラソン走ろう会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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