2016年08月15日

北タイ雨季のバイクツーリング(B)・チェンライのチェンセーンに旧日本軍慰霊碑

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 山の上の寺の展望台の背後の古寺階段横

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 「タイ・ビルマ方面戦病歿者追悼之碑」
 

 チェンライ観光には欠かせないのが、チェンセーン郡にあるゴールデントライアングル(黄金の三角地帯)。そのゴールデントライアングルを眺望するには、メコン河岸の小高い山の上にあるWat Phra That Phukhao(ワット・プーカオ)に登ることに。・・・

 階段で登るのは若者に任せて、バイクで一気に山の頂上付近へ。まさに、ここで記念写真をどうぞとばかりに、ここの看板を掲げた素晴らしい展望台がある。大河メコンに流れ込むもう1つの支流で、川を国境として3つの領土に分かれる。展望台があるこの領土はタイ、左手の支流とメコン河に挟まれた領土がミャンマー、メコン河の右手領土がラオス。

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 左手三角がミャンマー、右手上がラオス

 言われてみて初めて分かる眼前に広がる3つの国。たったそれだけの場所に大勢の観光客が押し寄せる。一応でも行って見ないと、チェンライ観光にならない、ということらしい。

 このゴールデントライアングル展望台の背後にあるのが古い遺跡寺。その階段横に、朽ちるような古い「Gorden Triangle」のゲートが放置されていて、その横に、意外にも、日本のお墓が3基あるではないか。こんな人気観光地の寺の片隅に、置き去りにされたように、日本の墓があるとは。日本人ならば、その傍らを通れば気づくかもしれない。

 なんの墓なのか気になるので、近寄って墓を確かめる。「タイ・ビルマ方面戦病歿者追悼之碑」(元文部大臣保利茂の名前だけがある)の黒色石版の墓が1つ。「南無阿弥陀仏」と記された墓。

 それに、「現地人戦没者慰霊碑」と記された墓で、『この慰霊碑は、第二次世界大戦時に、タイ・ビルマ方面に進駐した日本軍によって、不幸にも多くの現地の人が殺害されました。それ等の人々を慰霊するために建立したものです。合掌してください。平成十七年四月二〇日・建立 東京都世田谷区 長瀬誠二』と碑文にある。

 ここに3基もの慰霊碑があるのだが、「さてと?先の戦争で、日本軍兵士はここにやってきたのかな?」との素朴な疑問。次いで、『進駐した日本軍によって、不幸にも多くの現地の人が殺害されました・・・』との碑文の一部に「????」となる。

 先の大戦では、タイは進駐してきた日本軍とは同盟関係を結んだのは歴史の事実。『不幸にも多くの現地の人が殺害されました』などとは、どのような歴史的根拠から述べているのでしょうかね?大いに疑問です。もし、歴史を間違ってとらえてしまった慰霊碑だとすれば、1日も早く撤去すべきではないでしょうか? 

 まあ、そんなわかりにくい場所に、置き去りにされたままのような慰霊碑なので、また、日本語でしか記していないので、取り立てて問題にする必要などないではないか。そう言われれば、そうかもしれませんが、チェンマイやチェンライ在住の日本の方はどのように思われるでしょうかね?

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posted by 新明天庵 at 10:00| Comment(1) | TrackBack(0) | ミャンマー(ビルマ)国境情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
「長年鎖国政策を採ってきたミャンマーに入国できず、その想いをメコン河側のタイから見える高台に許可を得てこの寺に建立したものと思われる」と書いているブロガが居ますね。
Posted by 名無し at 2016年08月16日 17:33
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